カタルーニャ歴史
- 2017/03/08
- 23:47
今日、カタルーニャでも、「国際女性デー」。
カタルーニャ歴史上で有名な女性をご紹介:
「アルマセンダ」、( Ermessenda、975年 / 1058年)は、1000年前にバルセロナ地方、ジローナ地方とウゾナ地方(カタルーニャの中央部 / 北部、カタルーニャの誕生地)を統治しました。
南フランス「カルカソンヌ」出身のアルマセンダは、991年に「ラモン・ブレユ」というバルセロナ公爵と結婚しました。2人でカタルーニャ国を統治しましたが、1017年に Ramon Borell は、イスラム教徒と戦い、亡くなりました。その後、アルマセンダは、若い息子の変わりに一人でカタルーニャを統治しました。
息子は、1035年に亡くなり、アルマセンダは、孫の変わりに長い間カタルーニャを治しました。
アルマセンダは、戦争が嫌いでした。しかし、1000年前のカタルーニャは、貧しい国民が、畑で麦、トウモロコシなどを作って働いても税金に取られていました。お城に住んでいた領主がたくさんいて、戦争が多かった。アルマセンダは、戦争がないように法律を使って、知り合いの「ウリバ」修道院長(ノコギリ山モンセラットの新しい宗派を創立した修道院長)と一緒に様々なことを考えました。例えば:土・日・祝には、戦争をやってはいけない日にしたり、教会の回りのエリアでは、戦争は出来ないエリアにしたりしました。それで、貧しい農民の日常生活がもう少しラクになりました。
アルマセンダは、48年間、カタルーニャ国を統治しました!
私のイメージですが、アルマセンダは、中世の時代の「アイロン・レディー、鉄の女」でした。アルマセンダという女性は、やりたいこと、カタルーニャの為、正しいと思っていたことを最後まで頑張りました。素敵!
現在、アルマセンダは、ジローナのカテドラルで眠っています。今でも、棺の横には、カタルーニャの国旗が付いています。
バルセロナ歴史 (C)

カタルーニャ歴史上で有名な女性をご紹介:
「アルマセンダ」、( Ermessenda、975年 / 1058年)は、1000年前にバルセロナ地方、ジローナ地方とウゾナ地方(カタルーニャの中央部 / 北部、カタルーニャの誕生地)を統治しました。
南フランス「カルカソンヌ」出身のアルマセンダは、991年に「ラモン・ブレユ」というバルセロナ公爵と結婚しました。2人でカタルーニャ国を統治しましたが、1017年に Ramon Borell は、イスラム教徒と戦い、亡くなりました。その後、アルマセンダは、若い息子の変わりに一人でカタルーニャを統治しました。
息子は、1035年に亡くなり、アルマセンダは、孫の変わりに長い間カタルーニャを治しました。
アルマセンダは、戦争が嫌いでした。しかし、1000年前のカタルーニャは、貧しい国民が、畑で麦、トウモロコシなどを作って働いても税金に取られていました。お城に住んでいた領主がたくさんいて、戦争が多かった。アルマセンダは、戦争がないように法律を使って、知り合いの「ウリバ」修道院長(ノコギリ山モンセラットの新しい宗派を創立した修道院長)と一緒に様々なことを考えました。例えば:土・日・祝には、戦争をやってはいけない日にしたり、教会の回りのエリアでは、戦争は出来ないエリアにしたりしました。それで、貧しい農民の日常生活がもう少しラクになりました。
アルマセンダは、48年間、カタルーニャ国を統治しました!
私のイメージですが、アルマセンダは、中世の時代の「アイロン・レディー、鉄の女」でした。アルマセンダという女性は、やりたいこと、カタルーニャの為、正しいと思っていたことを最後まで頑張りました。素敵!
現在、アルマセンダは、ジローナのカテドラルで眠っています。今でも、棺の横には、カタルーニャの国旗が付いています。
バルセロナ歴史 (C)

スポンサーサイト